協会について : 沿革
我が国バレエ事始は、明治最晩年、当時の帝国劇場オペラ部にバレエ教師としてジョバンニ・ローシーが招聘された時とされております。その後、パブロワ姉妹、サファイア女史といったロシアの人々によって導かれた我が国バレエは、二つの大戦を挟んで現在ではバレエ団の、それに従事する人々の、そしてバレエ愛好家の数から言っても世界有数のバレエ大国へと成長致しました。 レベル的にも、今や世界のヒノキ舞台で活躍する日本人は、枚挙に暇がない程です。
ところで、第二次世界大戦の間に散々に荒廃してしまった我が国バレエ界ですが、戦争が終わったばかりの昭和20年(1945年)、我が国のバレエ人達は結集して“東京バレエ団”と名乗り、元の帝国劇場で「白鳥の湖」全幕を上演しました。この公演は、その後も長く語り草になる程の大成功を収め、その後5年間は我が国バレエ界はこの東京バレエ団を中心にある程度まとまって活動していた時代でした。しかし様々な事情で東京バレエ団は解散し、それから我が国バレエ界は群立した個々の団体の百花繚乱の活動の時代へと入ります。
しかし昭和32年(1957年)、当時のソ連からボリショイ・バレエ団が初来日し、本場バレエの実力の程をいかんなく発揮して我が国観客を魅了しました。この公演は我が国バレエ界にも大きな衝撃を与え、我が国バレエを世界に伍するレベルに引き上げる為には大きな組織と人材の掌握の必要を痛感させ、翌昭和33年、当時の我が国バレエ界のほぼ総意をもって、日本バレエ協会が旗揚げされました。
その後、日本バレエ協会は個々のバレエ団活動とは別に国民の皆様に良質なバレエ作品公演を提供し続け、あるいは優れたダンサーや振付家を発掘・育成するための努力を続け、昭和49年(1974年)には社団法人として再スタートを切り、より公益性の高い団体として、個々のカンパニー活動では成し得ない我が国バレエの総体的な技術・芸術性両面の底上げと、新たなバレエ芸術の創造を目指して活動を続けております。
また平成23年4月1日付で「公益社団法人」に移行し、より公益性の高い社団として新たなスタートを切っております。
※注:法人格取得以前は会長職は設けておりません。